2004年08月11日の記事
_ 【自宅】
相方が爆睡していた。部屋を締め切っていたので熱帯気候だった。
しばらく、仕事をやろうとあがいてみたが、シロクマな私は暑さに勝てず、7-11で雑酒を買ってきてベランダで一人宴会した。寂しかったので会社のパソコン開いてベランダで仕事した。結局、やらなきゃいけない仕事は仕上がらず、土曜日はめでたく仕事とあいなった。
_ 【移動】
太田の仕事の人員が一人減り、明日は営業車を幕張までもって帰らなければいかん。
そのうち過労死できそうだな。中途半端でなく、潔くサッパリと逝きたいものである。人生50年まであと8年と8ヶ月。
_ 【東武】
にのるのは初めてだが、出来れば二度と勘弁して欲しい。日比谷線からの案内の悪さ。発車直前時のチケット販売方法の曖昧さ。忙しいのは分かるから、まずでかい張り紙でFAQにたいする誘導回答よろしく!
_ 【猛毒】
友人の日記にダイオキシンの毒性の話が出ていた。我々化学薬品を扱う人間にとっては、半数致死量とか人間以外の生命の「逝ってこい率」を基準にして語ることが多い。
しかし、ベトナムでアメリカが実施した大規模な「環境破壊実験」の中で、枯葉剤に含まれたダイオキシンのもたらしたものは単に「毒性」で語るべきではないという実証結果を既にもたらしていると思う。
件のアメリカのファミリー系ドラマや映画でよくある出産シーンを思い浮かべてほしい。分娩室のそとでうろうろする夫は、初めこそ優秀な、しかも己がほしい性別の子供を望む。ところが妻のうめきが長くなるにつてその高望みは徐々に引き下げられてくる。最後に「どんな子供でもいい、健康で五体満足であればそれでいい」と。
ところか、ダイオキシンに汚染された地域からは、この「健康・五体満足」な子供が生まれる確率が非常に低いのである。いっそのこと、親が毒性で死んでしまうならともかく、奇形児として生まれた子供は自分を呪いながら、親は子供を愛しつつも憎みながら、一生育てなければならない呪われた化学薬品なのである。
そういったベクトルで危険な薬品が、「1gで人を何人殺せるか」などという「さまつ」な議論は、果たしてどれだけの意味を持つのだろうか。ワシには単なる言葉ゲームにしか思えない。
「確率統計論上の死亡率」という言葉で、アメリカは日本に肉を輸出し、欧州は日本の「ひじき」を禁輸にする。でも自分の国、県、市町村、地域を考えたとき、果たして「1票に足る首長」というのは、どちらの行動を取る人のことを表現するのであろうか。
・・・・・・・・・・・・・えー酔って理論ごじゃごじゃですがご容赦。
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コメント
酔って居てこれだけ書けるのは流石です。さて、辛い物そのうち届きます。シロクマがゴジラになれるよう心を込めて、しかし、安上がりなものを送ります。4〜5日お待ちください。
投稿: も | 2008年4月13日 (日) 11時00分
追伸:決して、成分分析して、猛毒など検出しないように(笑)
投稿: も | 2008年4月13日 (日) 11時01分